2012.07.03
毎度、中山さんです。 先日、懐かしい車を発見。 2代目セリカXX 1981年、俺様が高校生の頃にデビューした車で、 リトラクタブルヘッドライトの憧れの車。 こいつをシャコタンにしたら、かっこいいと当時俺は考えていた。 そんなXXを、発見して思わずパチリ。 こいつが北米だと、XXが使えなくスープラの名前が誕生。 俺様も学校を卒業し中古ではあるが、XX2.8GTを当時所有。 5MGにインタークーラーターボを装着。 ターボはポルシェで有名なKKK。 試作で作った、100パイのマフラー。 腕が入っちゃう太さ。 (^^ 今では当たり前にあるが、当時50とか、60パイしかない時代では衝撃的。 色々書ききれないほどお金の掛かった車だった。 とある有名ショップの看板車で、なかり目立っていた。 あちこち行ったが、特に湾岸線にてバリバリ伝説を作ったな・・・ いつも可愛い彼女を乗せて走ってたもんだよ。   当時、トラストの大川氏のソアラが最高速をマーク。 300km/hまで行ったんだっけ・・・ 雨宮さんは色々な車を乗ってたな、 一度、この二人が『すごいね車を見せて』、と来た事があった。 お目当ては、助手席の俺の彼女・・・、では?       てなわけで、XXをみて懐かしくなったのだ。   スープラ(SUPRA)は、トヨタ自動車1978年から2002年まで製造・販売していたスポーツカーである。日本国内向けは2代目までセリカXXという名前でトヨタカローラ店から販売され、3代目から北米仕様と同じ「スープラ」となる。1986年から2002年までの累計生産台数は28万5,280台。搭載エンジンは、初代から通して直列6気筒のみである。

歴史 [編集]

初代 A40型/50型(1978年-1981年) [編集]

北米仕様
詳細は「トヨタ・セリカXX」を参照 セリカXX/北米スープラの初代モデル。 当時のアメリカでは「Xの列記」が映画の成人指定度合いを示すため、北米を含めた全ての輸出車は「Xの列記」を避けスープラと命名し発売された。

2代目 A60型(1981年-1986年) [編集]

北米仕様
詳細は「トヨタ・セリカXX」を参照 セリカXX/北米スープラの2代目モデル。 日本国内仕様も1983年からドアミラーが認可される。

3代目(日本国内においては初代) A70型(1986年-1993年) [編集]

トヨタ・スープラ(日本国内初代) GA70/GA70H/JZA70/MA70型
前期型(北米仕様)
Toyota Supra.jpg
後期型(北米仕様)
89-92 Toyota Supra.jpg
後期型(欧州仕様)
Toyota Supra front 20071102.jpg
販売期間 1986年 – 1993年
乗車定員 5人
ボディタイプ 3ドアファストバック
エンジン 2.0L 直6 1G-EU型 2.0L 直6 1G-FE型 2.0L 直6 1G-GEU型 2.0L 直6 1G-GTEU型 3.0L 直6 7M-GTEU型 2.5L 直6 1JZ-GTE
最高出力 105 ps(1G-EU型) 135 ps(1G-FE型) 140 ps(1G-GEU型:1986年) 150 ps(1G-GEU型:1988年) 185 ps(1G-GTEU型:1986年) 210 ps(1G-GTEU型:1989年) 240 ps(7M-GTEU型) 280 ps(1JZ-GTE型)
変速機 4速AT/5速MT
駆動方式 FR
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン
全長 4,620 mm
全幅 1,745 mm
全高 1,300 mm
ホイールベース 2,595 mm
車両重量 1,500 kg
ブレーキ 4輪ベンチレーテッドディスク
データモデル 2.0GT ツインターボ 5MT(後期型)
先代 トヨタ・セリカXX(日本国内)
-自動車のスペック表-
A70型よりセリカから独立、日本国内でも北米仕様と同じ「SUPRA」という車名を採用。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」であり、トヨタが誇る60年代の名車トヨタ・2000GTをイメージしていた。ソアラと共通のプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用し、当初の主なエンジンは、2.0Lは1G-EU、1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3.0Lターボの7M-GTEUであった。 1986年6月にはエアロトップが発売され、1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速MTが設定され、それまでは輸出仕様のみに採用されていたブリスターフェンダーの3ナンバー仕様ボディーの「3.0GTリミテッド」が追加された。 1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスク及びテールライトのデザインが変更された。1G-GTEU、7M-GTEUはハイオク仕様へ改良されパワーアップした。また3Lグレードは全て輸出仕様車と同様のワイドボディーとなった。 1989年8月に一部変更が行われ、ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、さらにE仕様もワイドボディ化。また3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを省略して価格を抑えた廉価仕様の「3.0GTターボS」が追加された。 モデル末期の1990年8月、最後のマイナーチェンジ。エンジンの変更やサスペンションの設定見直し等が主体となる。これまでの最上級グレード「3.0GT」系のエンジンを新たにX80系マークIIのスポーツグレードに採用された2.5Lツインターボ 1JZ-GTEに換装し、またサスペンションにドイツのビルシュタイン社と共同開発した専用ダンパーを採用[1]。タイヤもインチアップされ、スポーツカーとしての性能を大幅に引き上げた。そのためグレード名は「2.5GTツインターボ」に改称され、3.0Lターボ仕様の7M-GTE搭載車は廃止された。また外観では、フロントノーズのエンブレムが縦長のスープラ独自のものから1989年に発表された初代セルシオより採用されている新トヨタCIマークに変更されている。ちなみにこの「2.5GTツインターボ」は、当時のトヨタ車として初の280psの5速MT設定車であり(AT仕様もあり)、当時の国産市販車の280psクラスのレシプロエンジン車では2.5Lと最小排気量であった。 また、グループAのホモロゲーション取得用モデルとして7M-GTEに専用開発のターボAタービン(CT26型ベース)を搭載した3.0Lターボ車「ターボA」が、1988年8月のマイナーチェンジと同時に500台限定で販売された。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクトで、このダクトの形は「ターボAダクト」と呼ばれた。その他の特徴として、ボディカラー、ホイールも黒、内装は本革シートを採用し5速マニュアルのみの設定でメーター類はアナログのみとなる。インタークーラーも大型の物が装着され、最高出力は量産型の240psから270psにまでパワーアップされた。ちなみにグループAでのスープラは、デビューウィンこそ飾ったものの、その後はフォード・シエラ日産・スカイラインの前に苦戦し、R32スカイラインGT-Rが席巻した1990年をもって撤退した。 通常純正部品をディーラーで購入する場合、車検証が必要になるが、このターボAタービンは実際に車両を持参しないと購入できなかった。これは、ユーザーの間でターボAタービンを他車種(ソアラMZ20/21、スープラMA70量産型)に流用するチューニングがあまりにも広まったためといわれる。 搭載エンジンについて詳細は以下。
形式 項目\年代 1986年2月~ 1987年1月~ 1988年8月~ 1990年8月~
1G-EU 排気量 形式 最高出力 最大トルク 2,000cc(1,988cc) OHC-自然吸気 105ps/5,200rpm 16.0kg-m/4,000rpm ← ← ← ←    
1G-FE 排気量 形式 最高出力 最大トルク     2,000cc(1,988cc) DOHC-自然吸気 135ps/5,600rpm 18.0kg-m/4,400rpm  
1G-GEU 排気量 形式 最高出力 最大トルク 2,000cc(1,988cc) DOHC-自然吸気 140ps/6,400rpm 16.5kg-m/4,600rpm ← ← ← 17.6kg-m/4,000rpm ← ← 150ps/6,400rpm 18.6kg-m/5,600rpm ← ← ← ←
1G-GTEU 排気量 形式 最高出力 最大トルク 2,000cc(1,988cc) DOHC-ツインターボ 185ps/6,200rpm 24.5kg-m/3,200rpm ← ← ← ← ← ← 210ps/6,200rpm 28.0kg-m/3,800rpm ← ← ← ←
7M-GTEU 排気量 形式 最高出力 最大トルク   3,000cc(2,954cc) DOHC-ターボ 230ps/5,600rpm 33.0kg-m/4,000rpm   ← ← ← ←   ← ← 240ps/5,600rpm 35.0kg-m/3,200rpm (※1)  
1JZ-GTE 排気量 形式 最高出力 最大トルク       2,500cc(2,491cc) DOHC-ツインターボ 280ps/6,200rpm 37.0kg-m/4,800rpm
(※1)最高出力270ps/5600rpm/最大トルク36.5kg-m/4400rpmのターボA仕様有り

4代目 A80型(1993年-2002年) [編集]

トヨタ・スープラ(日本国内2代目) JZA80型
フロント
Red Supra.jpg
リア
Toyota Supra (A80) 2.JPG
販売期間 1993年 – 2002年
デザイン 鹿戸治
乗車定員 4人
ボディタイプ 3ドア ファストバック
エンジン 3.0L 直6 2JZ-GE型 3.0L 直6 2JZ-GTE型
最高出力 225 ps(NA) 280 ps(ツインターボ)
最大トルク 29.0 kgm(NA) 44.0 kgm(ツインターボ)
変速機 4速AT/6速MT/5速MT
駆動方式 FR
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン
全長 4,520 mm
全幅 1,810 mm
全高 1,275 mm
ホイールベース 2,550 mm
車両重量 1,510 kg
ブレーキ 4輪ベンチレーテッドディスク
データモデル 3.0RZ 6MT(後期型)
-自動車のスペック表-
THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに、A80系スープラは1993年にデトロイトモーターショーにて公開され、同年5月に販売開始された。 シャシーはスポーツラグジュアリークーペのソアラ(Z30系)に採用された、前後サスペンションがダブルウィッシュボーン方式(フロントアッパーアームがアルミ鍛造のローマウント式)で、A70系より改良が行なわれている。Z30系ソアラとのシャシーの大きな違いは燃料タンクの位置で、ソアラがリアシート背後なのに対し、より全長の短いスープラでは重量配分や前後オーバーハングの長さを適正化すべくトランク下に移設されている。 エンジンは直6 3.0L 2JZ-GEに変更され、新開発の電子制御スロットルシステム「ETCS」が初搭載された(このETCSは後に改良型の1JZ-GTEへ技術転用されている)。 NA仕様(クラウンなどと同一型式のエンジン)で225ps、ターボ仕様はアリスト(JZS147系)に搭載されていたシーケンシャル方式ツインターボで、最高力が280ps、最大トルクは44kg-m(1993年~1996年)を発生した。 また、当時の日本産乗用車としては初となる6速MT(ドイツ・ゲトラグ社とトヨタとの共同製作)を搭載した。なお上級モデルには17インチ扁平タイヤ・ホイールとそれに対応した大型ブレーキキャリパー(前・対向4ポッド 後・対向2ポッド)と大径ローターを装備するものの、発売当初はアメリカ専売モデルのみの採用で、日本国内モデルへは当時の運輸省の認可が下りなかったために翌年まで持ち越された。 1994年8月にマイナーチェンジ。先述の17インチタイヤ・ホイール装着車の追加(発売当初、ホイールの色がターボ車がガンメタリック、NAはシルバーだったが、後に全てシルバーに統一)、グレード体系の一部見直し(RZ-SとSZ-Rの追加)が行われた。RZは6速MTのみの設定と17インチが標準、RZ-SはATと6速MTの設定で17インチはオプション、SZ-Rは6速MTのみで17インチ仕様が標準となった。ちなみにGZとSZは変更なし。 1996年4月に再びマイナーチェンジ。内外装の小変更が行われ、最上級グレードのGZはカタログから消滅。それに伴いターボのエアロトップ仕様もラインナップより消えている。NAエンジンのSZ-RにもRZと同じゲトラグ社製6速MTが改良され搭載された。また全車にABS、デュアルエアバッグが標準装備された。 1997年8月に最後のマイナーチェンジ。同一型式のエンジンを積むアリストが2代目(JZS16#系)へとフルモデルチェンジし、それに伴いA80系スープラもエンジンをVVT-i化された(NAの2JZ-GEは変更なし)。これにより最高出力はそのままながら、最大トルクは46kg-mへ増加、燃費や扱いやすさも向上している。また、サスペンションに「REAS(Relative Absorber System, リアス・相互連携アブソーバーシステム)」を採用。これは左右のダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ左右の減衰力差を発生させるもので、ヤマハ発動機とトヨタが共同開発したものである。このREASは、後に進化版が同じトヨタのハイラックスサーフクラウンアスリートVX(特別限定車)に「X-REAS」として搭載されている。これ以外にもボディ補強などの小変更が行われた。 1999年8月、SZの後輪に245タイヤを採用(フロントは225のままで前後異サイズとなった)。 2002年8月、「平成12年度排出ガス規制」に対応できなかったため(同一型式のエンジンを搭載するアリストはターボ・NAともに対応)、ライバル車種の日産・スカイラインマツダ・RX-7などと共に生産を終了した。 高剛性のボディやエンジンに加え、トヨタ車におけるスポーツフラッグシップ車であったことから、TRD等のメーカー直系だけでなく、他社からも多くのアフターパーツが発売された。ゆえに生産終了した現在でもチューニングベースとして使用されることが多い。 搭載エンジンについて詳細を以下に示す。
形式 項目\年代 1993年5月~ 1997年8月~
2JZ-GE 排気量 形式 最高出力 最大トルク 3,000cc(2,997cc) DOHC-自然吸気 225ps/6,000rpm 29.0kg-m/4,800rpm ← ← ← ←
2JZ-GTE 排気量 形式 最高出力 最大トルク   3,000cc(2,997cc) DOHC-ツーウェイ(シーケンシャル)ツインターボ 280ps/5,600rpm 44.0kg-m/3,600rpm   ← ← ← 46.0kg-m/3,600rpm (※2)
(※2)VVT-i搭載

モータースポーツ活動 [編集]

A70系は1987年より全日本ツーリングカー選手権に参戦。デビュー戦で勝利を飾ったが、その後はレギュレーション変更に伴う重量増加に苦しみ、フォード・シエラの速さや日産・スカイラインの進化に追従できず、1990年限りで撤退した。また、グループA初年度の1987年から1988年にセリカGT-FOURが登場するまでの間、WRCにも参戦したが、こちらは未勝利に終わった。
SUPER GTに参戦したスープラ(2005年)
A80系は1995年・1996年にはスープラ LM-GTル・マン24時間レースに参戦したほか、主な活動としてSUPER GTのGT500クラスに参戦。スカイラインGT-RやNSXと戦いを繰り広げ、2002年の生産終了後も2005年レクサス・SCに交代するまで第一線で活躍した。なお2002年には脇阪寿一飯田章組のエッソウルトラフロースープラがシリーズチャンピオンに輝いている。 ちなみに、SUPER GTに参戦した車両は、参戦当初こそ2JZエンジン搭載であったが、後に2.0L 直4ターボ3S-GTE自然吸気エンジンの3UZ-FE(排気量は参戦年度により異なる)に変更された。またシャシーやサスペンションなども同社のグループCカーをベースにしたものに変更された。 2007年スーパー耐久第3戦・十勝24時間レースに、2005年のSUPER GTで使用された車両をベースにレース用ハイブリッドシステムを搭載したスープラHV-Rで参戦、総合優勝を果たした。しかし、この1戦のみの参戦だった。 D1グランプリには、織戸学のRS・Rスープラが2005年に1年のみ参戦している。2008年のD1ストリートリーガルの第1戦からはセリカのフロント部を移植した車両が、松井有紀夫ドライブで参戦している。2010年に前年度より再参戦していた織戸学が再びスープラで参戦した。ただし以前使用した車両とは別物である。

車名の由来 [編集]

  • ラテン語で「至上かつ最高」「上へ」「超えて」と言った意味を持つ。

脚注 [編集]

  1. ^ ビルシュタイン製ショックアブソーバーが装着されていたグレードは2.5ターボRのみ、その他はTEMS付き、またははスタンダードショックアブソーバが装着されていた。また、2.5ターボRにはレカロ社製シート、MOMO社製ステアリングが装着されていた。
      これも、数年前に撮ったやつ、 こいつ、まだ動いてるかな? P.S これもお金が掛かってるんじゃん。 最近少ないよね。
 
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
 
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
baibaikin
 
2012.07.02
毎度、中山さんです。 お昼ごはんを食べている、俺様の目の前では、 こんな感じ・・・ 事務職にお昼休みはないのだ・・・               baibaikin
2012.07.01
毎度、中山さんです。 先日、鮫洲にて凄いやつを発見。 ジャージャージャン! トヨタ2000GT すげー、 何がすごいかと言うと、 詳しくは、ウィキペデアで確認宜しく!    

トヨタ・2000GT

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トヨタ・2000GT MF10型
前期型
TOYOTA 2000GT.jpg
前期型リア
1967 Toyota 2000GT 02.jpg
販売期間 1967年 – 1970年
設計統括 河野二郎
デザイン 野崎喩
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドアクーペ
エンジン 3M型直列6気筒 DOHC(150ps/6600rpm 18.0kgm/5000rpm グロス値)
変速機 2000GT専用5速MT(他に3速ATの設定あり)
駆動方式 FR
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン(コイルスプリング)
全長 4175mm
全幅 1600mm
全高 1160mm
ホイールベース 2330mm
車両重量 1120kg
-自動車のスペック表-
2000GT(にせんジーティー)は、トヨタ自動車ヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハへの生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで限定生産されたスポーツタイプの乗用車である。型式は「MF10」。

開発までの経緯 [編集]

開発時の状況 [編集]

1960年代前半の日本におけるモータリゼーション勃興期、トヨタ自動車にとって最大の競合メーカーである日産自動車フェアレディ、また四輪車メーカーとしては新興の本田技研工業Sシリーズをそれぞれ市場に送り出し、いずれも軽快なオープンボディのスポーツカーとして日本国内外で人気を集めた。これらのスポーツカーは自動車レースなどでもメーカーの技術力をアピールし、メーカーのイメージアップに大きく貢献する存在であった。 一方のトヨタ自動車は、日産自動車と並んで日本を代表する最大手自動車メーカーでありながら、1960年代前半にはスポーツカーを生産していない状態だった。社外の企業である久野自動車により、クラウンのシャーシを利用して浜素紀のデザインした個性的な4座オープンボディを架装したスペシャリティ・モデルの試作などは行われていたが、そのシャーシやエンジンなどはスポーツカーと呼ぶには非常に未熟なもので世に出ることはなく、自社のイメージリーダーとなるようなスポーツモデルが存在していなかった。 トヨタ自動車のスポーツカーには、1962年から大衆車パブリカのコンポーネンツを用いて系列会社の関東自動車工業で試作を進めていた「パブリカ・スポーツ」があり、1962年以降の原型デザイン公開を経て、トヨタ・スポーツ800の名で1965年から市販された。しかしこれは1000cc未満のミニ・スポーツカーであり、2000cc超の乗用車を生産する自動車メーカーであるトヨタのイメージリーダーとしては格が不足していた。 このため、輸出市場やレースフィールドで通用する性能を持った、より大型の本格的なスポーツカー開発が考えられるようになったのである。開発は1964年9月から開始され、シャーシやスタイリングの基本設計はトヨタ自社によって短期間で進められている。

ヤマハ発動機の技術供与 [編集]

ヤマハ本社にて展示されている2000GT、3台しか生産されなかったゴールド塗装車のうちの1台。シャシー番号10132
同時期、オートバイメーカーとしてすでに日本を代表する存在となっていたヤマハ発動機では、日産自動車と提携してクローズド・ボディの高性能スポーツカーの開発を進めていた[1]。日産との協力で開発コード「A550X」と呼ばれる試作車[2]も作られたが、この計画は日産側の事情により、1964年に開発途中で頓挫した。 そこでヤマハでは、スポーツカー開発のあらたなパートナーとして、トヨタ自動車工業にアプローチした。すでにスポーツカー開発に着手していたトヨタ側もこれに応諾し、プロジェクトリーダーの河野二郎、デザイン担当の野崎喩、エンジン担当の高木英匡、シャシーと全体レイアウト担当の山崎進一の4人を中心に1964年末から共同開発が開始された。この際、同年12月末にはトヨタ側の開発メンバーがヤマハに赴き、A550X試作車を実見している。 翌1965年1月より、トヨタ側の開発陣、河野、野崎、高木、山崎の4名がヤマハ発動機に出向き、2000GTの開発プロジェクトを推進していった。開発の本拠をヤマハ発動機に移すことになったのは、「本社は一切タッチせず。プロジェクトは(前出の)4名とヤマハ発動機でまとめること」という異例中の異例の方針をトヨタが打ち出したためである。開発プロジェクトは順調に進み、4月末に最終設計図が完成。計画開始からわずか11か月後の8月に試作車の第1号車が完成し、トヨタ自動車に送られたのである。 当時のトヨタは実用車主力のメーカーで、高性能エンジン開発や高級GTカーの内装デザインなどには通暁しておらず、2000GTの高性能エンジンや良質な内装には、ヤマハ発動機のエンジン開発技術や日本楽器の木工技術が大いに役立てられている。 ヤマハ発動機は戦時中に航空機用の可変ピッチプロペラの装置を製造していた技術・設備を活用するため、1950年代中期からモーターサイクル業界に参入して成功、高性能エンジン開発では10年近い技術蓄積を重ねていた。また1950年代後半以降のモーターサイクル業界では、四輪車に先駆けてSOHC・DOHC弁配置の高効率なエンジン導入・研究が進んでいた。このような素地から、ヤマハはトヨタ製の量産エンジンを改良して、DOHCヘッドを備えたエンジンを製作することができた。 またヤマハは楽器メーカーが前身で、楽器の材料となる良質木材の取り扱いに長けていたことを活かし、インストルメントパネルステアリング(ともに前期型はウォールナット、後期型はローズウッド製)の材料供給・加工までも担当した。

「開発丸投げ」の俗説 [編集]

2000GTはその成立過程での2社共同開発体制という特異性に加え、実車生産についても、ヤマハおよびその系列企業に委託されたこともあり(後述)、「果たしてトヨタが開発した自動車と捉えるべきか」という疑問が、愛好者、評論家の一部によって呈されている。 自動車関係の書籍・雑誌では古くから、さらに近年では個人によるブログ上などでも(しばしば前後に、自社技術のアピールを目的として2000GTを市販したトヨタへの侮蔑的言辞を伴って)「トヨタは2000GTの自力開発ができず、ヤマハが開発・生産したスポーツカーを買い取っていたに過ぎない」「これは実際には『ヤマハ2000GT』というべきものである」とする辛辣な評、また、「日産・2000GT試作車=トヨタ・2000GTの原型」と断じる極端な説までもがごく一部で流布されている。 このような批評や風説が生じた背景には、トヨタ側単独でのシャーシ開発期間がわずか数か月間ほどで、開発作業期間としてはあまりに短すぎるのではないかという現実的疑問、およびA550XとトヨタGTの開発時期がほぼ前後していて、ヤマハが日産からトヨタへと短期間で提携先を変えたという経緯の不明朗さがあり、自動車マニアや自動車ジャーナリズムが元々抱いていたトヨタの技術水準への疑念[3]と相まって、トヨタへの不信となって表れたものと見られる[4]。 このような経緯から、両社の開発分担が厳密にどのようなものであったのかについてはなお諸説紛々としているが、2000GT開発のプロジェクトリーダがトヨタの河野二郎であったことや、トヨタで行なわれた初期設計およびヤマハ発動機で行なわれた詳細設計にトヨタ側のエンジニアが一貫して参加していた事実を勘案すれば、「開発丸投げ」説は真相を正確に反映しているとは言えず、不適当と処断せざるを得ない。また、ヤマハ発動機は2000GTの開発に中途参加した経緯があり、開発への関与は限定的であったため、開発において主導的な立場をとれるものではなかった。このことから、ヤマハ発動機側は2000GTの開発についての公式な言及を「ヤマハの技術供与」としている。

生産・販売 [編集]

生産 [編集]

市販車の本格生産は、ヤマハ発動機に委託された。 鈑金溶接・車体組立・エンジン組立・塗装の工程は、ヤマハ発動機が静岡県磐田市に新設した3号館工場で手作業によって行われ、FRPパーツ類は新居工場(浜名郡新居町)が製造し、内装パネル関係は日本楽器製造、ボディのプレス関係は1950年代にバイクメーカーとして活躍し、ヤマハの傘下に入った北川自動車工業(後のヤマハ車体工業、1993年4月にヤマハ発動機に吸収合併)の他、(株)畔柳工業といった、トヨタ系試作プレスメーカーも担当した。

発売価格 [編集]

当時の2000GTの価格は238万円で、トヨタ自動車の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高価であった。1967年当時の日本における大卒者の初任給がおおむね2万6,000円前後であったから、21世紀初頭における1,500万円から2,000万円程度の感覚にも相当する、一般の人々にとっては想像を絶する超高額車であった。 それでも生産に手間がかかり過ぎてコスト面で引き合わない価格設定であり、全生産期間を通じて常に赤字計上での販売であった。トヨタ自動車にとっては「高価な広告費」とも言うべきものであった。

マイナーチェンジ [編集]

後期型
市販開始から2年後の1969年8月に、マイナーチェンジが行われた。2000GTは、このマイナーチェンジより前の前期型(1967年5月から1969年7月生産)と、その後の後期型(1969年8月から1970年10月生産)に大別される。

2300GT ? [編集]

直列6気筒SOHC 2.253ccエンジンを搭載したモデルも生産されているが市販に至らなかったため正式通称名は発表されておらず不明である。市販された2000ccモデルと区別するため、雑誌やマニアなどが2300GTと称しているが正式名ではない。 現在トヨタ自動車で保有し展示されている(後述)車輌がTOYOTA2000GT輸出仕様となっている事や取り付けられているエンブレムが2000GTとなっている事などから、2000GTと言う名の2300ccモデル、つまり「2000GT」としてDOHC2000ccとSOHC2300ccの2つのモデルでの併売を計画していたとも考えられる。[5] エンジンは当時北米向輸出仕様のクラウンコロナマークIIに搭載されていた2M型を基本にソレックスツインチョークキャブレターを3連装した2M-B型エンジンを搭載している。型式はMF12Lで、諸説あるがMF12L-100001からMF12L-100009までの計9台の車台番号の物が製作されたとされており、このうちMF12L-100002はトヨタ自動車で保有し東京都江東区のMEGAWEB(メガウェブ)ヒストリーガレージに展示されている、またMF12L-100006はToyota USA Automobile Museumに展示されている。この開発は、ヤマハ発動機がトヨタ自動車に対して提案する形で進められ、アメリカ市場向けの廉価版として本格生産も考えられたようであるが、結局はトヨタ自動車内部での反発に遭い市販には至らなかった。また絶版車雑誌で「アメリカに10台前後存在している」と紹介されたことがある。

生産台数 [編集]

赤字生産が続き、イメージリーダーとして十分な役割を果たしたとの判断から、1970年で生産は終了した。 1967年5月から1970年8月までの3年3か月で337台が生産された。
種類 前期型 後期型 合計
日本向け 110台 108台 218台
日本国外向け   102台
特殊用途車 12台 2台 14台
試作・テスト用   2台
不明   1台
2M型エンジン(2.253cc)搭載車は試作車が市販直前の状態まで10台前後製作されたが、生産台数の337台には含まれていない。ほかに、リトラクタブル・ヘッドライトが固定式ライトに変更されたモデルも試作されたが、市販されなかったため台数には含まれていない。

生産終了後 [編集]

生産終了後、希少価値もあり、2000GTの存在は日本国内外で後年まで伝説的に語られるようになった。熱心な愛好者によるクラブも日本国内外に存在する。日本車における絶版車の人気車種として筆頭に上げられる車種の一つになり、中古車市場では多くの場合プレミアム価格が付いて、良好な状態の2000GTは2000万円を超える価格で取引される事もある。また近年では、新車時に日本国外に輸出された2000GTを日本に逆輸入する例も多数生じている。

諸元 [編集]

DOHCエンジン、4輪独立懸架、5段フルシンクロメッシュ・トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・ピニオン式ステアリングリトラクタブル・ヘッドライトは、トヨタ自動車ではこの車から本格採用された。これらは1980年代以降、量産自動車において珍しくない装備となっているが、1960年代中期においてこれらを全て装備している自動車は、当時としては最上の高性能車と言えた。軽量化のために専用デザインの鋳造マグネシウムホイールを用いたことも異例である。

ボディ [編集]

当時のスポーツカーデザインの基本にのっとって長いボンネットと短い客室部を低い車高に抑えつつ、全体に流麗な曲線で構成されたデザインは、先行して開発されていたジャガー・Eタイプ1961年)などの影響を指摘されることもあるが、当時の日本の5ナンバー規格の枠内でコンパクトにまとめられながら、その制約を感じさせない美しいデザインとして評価が高い。ヘッドライトを高さ確保のため小型のリトラクタブルタイプとし、固定式フォグランプをグリルと併せて設置したフロント・ノーズの処理も独特の魅力があった。 このデザインは発表当時トヨタ自動車の社内デザインであるとのみ公表されたが、トヨタ自動車のデザイナーであった野崎喩(のざき さとる)を中心にデザインされたことが21世紀に入ってから明らかにされ、野崎本人によってスケッチやデザイン過程についての談話も公表されている。野崎は2000GTのデザイン以前の1963年に、デザインを学ぶためアメリカのアートセンター・スクールへ留学した経験があり、その当時のスケッチが2000GTのモチーフになったという。 ただし特に日本国外では(ヤマハ発動機が日産自動車とのスポーツカー共同開発を目論んだ経緯から)、それ以前にシルビア(初代)のデザインを監修した[6]とされるドイツ系アメリカ人デザイナー、アルブレヒト・フォン・ゲルツが、2000GTのデザインも手がけたという説が、広く流布している。もっともゲルツ本人は晩年の1996年8月、日本の自動車雑誌『ノスタルジックヒーロー』によるアメリカでのインタビュー(1997年 同誌61号に掲載)で、トヨタ・2000GTへの自身の直接関与を明白に否定している。 ゲルツ・デザイン説の正確な出所は不明だが、日産A550X開発時にゲルツと日産がアドバイザー関係であったこと、および、A550Xもトヨタ・2000GTもリトラクタブルライトのファストバック・クーペという類似性を持ち、後者が前者の改良デザインとも見なせることが風説の原因と見られる。前述の「ヤマハへの開発丸投げ・買い取り」評の存在や、当時のトヨタ自動車に自社で(もしくはさらに広い意味で、「当時の日本人のセンスでは」)このようなデザインを行えるはずがない、という先入観も、ゲルツ・デザイン説が広まる要因となっているようである[7]。 内装はヤマハ製のウッドステアリングインストルメントパネルをはじめ、回転計などを追加した多眼メーター類や豊富なアクセサリーの装備で、2人の乗員に十分な居住性を確保しながら「高級スポーツカー」らしい演出を図っている。この時代の日本車としては、異例の高級感がある良質な仕上がりであった。ハンドブレーキがダッシュボード下部配置の「ステッキ型」であることが、やや古風な点と言える。

ボディーカラー [編集]

ボディーカラーは、前期型では次の3色である。
  • ペガサスホワイト
  • ソーラーレッド
  • サンダーシルバーメタリック
前期型では特注色として少数台生産された次の3色が、後期型で正式採用され、計6色となった。
  • ベラトリックスイエロー
  • アトランティスグリーン
  • トワイライトターコイズメタリック(ブルーメタリック)
カタログにゴールドモデルはなかったが、特別にゴールドに塗装された車両が3台存在した。前期型2台と後期型1台である。 前期型2台(シャシー番号10130と10132)は1967年第14回東京モーターショー出展用として製作された。1台(10130)は同ショーにてスタンドコンパニオンを演じた人気モデルツイギーが気に入って購入し、イギリスに渡った。その後、1980年頃に米国トヨタ販売が入手したが、レストア時にフェラーリ風レッドに塗り替えてしまった。現在はToyota USA Automobile Museum[8]が所蔵しており、2006年、引火事故による塗装損傷の修復を契機に2000GT研究の第一人者である吉川信[9]の手によりオリジナルのゴールドに復元された[10]。 もう1台(10132)は、同ショーで一目惚れして購入した日本のオーナーが長らく所有していたが、自分亡き後の終の住み処にふさわしい場所としてヤマハ発動機に寄贈された。その後、レストアされ[11]、現在は同社コミュニケーションプラザに展示されている。これら2台の塗色はゴールドと称しているがメタリック成分が少ないため、現代の感覚から言えば黄土色と言った方が近い。 後期型1台(10232)はシャシー番号上は前期型に属する(正式な後期型は10401〜)。1969年の第16回東京モーターショー出展用として先行製作され、メタリック感を向上した「アフレアゴールド」にて塗装された。モーターショー出展後の行方は不明である。

シャーシ・パワーユニット [編集]

古典的スポーツカーらしくボディとは別体となるシャーシは、ジャガー・Eタイプやロータス・エランなどでの先行例に倣ったX型バックボーンフレームで、低重心・高剛性を実現した(2000GTのシャーシが短期間で開発できたのは、これらの著名な先行メーカー製品での手法を巧みに取り込んだという一面も否定できない)。 サスペンションについては、トヨタ車としては初めての本格的な四輪独立懸架となり、前後輪ともコイル支持によるダブル・ウィッシュボーンとして操縦性と乗り心地の両立に成功している[12]。 また、操縦性に配慮してステアリング機構はラック・アンド・ピニオン式とし、高速域からの制動力確保を企図して日本初の4輪ディスクブレーキ仕様とした。 エンジンは、クラウン用として量産されていた当時最新鋭の直列6気筒7ベアリングSOHCエンジンである「M型」(1988cc・105PS)のブロックを流用し、ヤマハの開発したDOHCヘッドに載せ替えるなどして強化した「3M型」を搭載した。このクラスのエンジンとしては小型軽量であり、それゆえ2000GTは、直列6気筒エンジンを使用しながら、現在で言う「フロント・ミッドシップ(エンジンを前車軸と前席の間に搭載する)」レイアウトが可能であった。 3M型は三国工業(現・ミクニ)がライセンス生産したソレックス型ツイン・キャブレターを3連装され、150ps/6600rpm(グロス値)という、当時の日本製乗用車の中でも最強力クラスの性能を得た。これにフル・シンクロメッシュの5速マニュアルトランスミッションを組み合わせた2000GTは、0 – 400m15.9秒の加速力と、最高速度220km/h(最大巡航速度は205km/h)を実現、当時の2リッター・スポーツモデルとしては世界トップレベルに達した。 しかし、ベースが量産型実用エンジンということもあり、ノーマル状態では極限までの高性能は追求せずに、公道用のGTカーとしての実用性をも配慮したチューニングが為されている。このため3M型は、その外見的なスペックの割には低速域から扱いやすいエンジンであったという。

前期型と後期型の違い [編集]

前期型と後期型では、次の点が異なる。
  • フロントマスク部のデザイン変更(フォグランプのリムが小型化され、グリルとの一体感を増し、よりモダンな印象を与えるデザインとなった。)
  • フロントウィンカーランプカバーおよびリアサイドリフレクターの形状変更・大型化
  • オイルクーラーの冷却用ルーバーパネルが凸型から凹型へ
  • インパネ部のデザイン変更
  • ステアリングホイールのホーンボタンの形状変更・大型化
  • ヘッドレストの追加
  • 車内のドアハンドルの形状変更
  • カークーラーの追加
  • トヨグライドAT)タイプの追加
  • ボディーカラー種類の追加
トヨグライド(3速オートマティック)タイプの追加は、主にアメリカでのイージードライブ需要を考慮しての措置である。         わかった? この車のすごさ・・・ 中古車で、¥30,000,000位は優にする車。 俺様の隣家の車庫にも、15年くらい前に白の2000GT有ったよ。           baibaikin
2012.06.30
 毎度、中山さんです。 ここは城南島にある弊社の車庫。 沖合いには羽田空港があり、飛行機の離発着が見られる絶景ポイント・・・ ここで、”おひるね!”ではなく、 今回来たのは、新人が練習してるのを見学。 先輩が手取り足取り、親切丁寧に指導。 個人差もありますが、だいたいすぐに動かせるようにはなるかな。 上手くなるかどうかは、個人の持って生まれたセンスしだい・・・    (^^ 彼も既に、研修期間終了。 無事一人で業務に付いて頑張っています。         baibaikin
2012.06.29
6月29日  QKG クオン納車。 UDトラックスは、QKGクオンに衝突被害軽減ブレーキ『トラフィックアイブレーキ』を標準装備。 車間距離が一定限度を割り込むと、ウォーニングランプと警告音で知らせる。 回避操作をしなかた場合、自動ブレーキを作動させ、エンジン出力を抑える。 最終的に、衝突を避けられないと判断した場合、強いブレーキを作動させると共に、 衝突時の被害を軽減させる。 燃料の最大噴射圧力を高圧化して燃焼効率を向上させたエンジン。 幅広いギヤレシオを備えトランスミションなど搭載。               baibaikin
2012.06.29
毎度、中山さんです。 ちょっと、アップするのが遅くなってしまい、 季節感がないが、 そこはそこで、しょうがない。 ブログ書き溜めているので、 順番にアップ。 これでも、まだまだ載せきれない写真がいっぱい。 極力リアルタイムに紹介できたら、 季節感もありよくなるのにな。 せっかく綺麗だったから撮ったのに、 梅雨もぼちぼち終わってしまう頃、 夏は目の前だぜ。             baibaikin
2012.06.28
6月28日 20F 3軸シャーシ 10本増車。                    baibaikin
2012.06.28
毎度、中山さんです。   先日、訪問者が・・・ プライム物流の元秘密兵器! 知っている人は知っているし、 知らない人は全然わからない。 加治佐元主任が遊びに来た。 弊社を惜しまれながらも退職して早何年? ちょいちょい遊びに着たり、 俺様とたまに飲んだりしてる加治佐元主任。 彼が、加治佐君です。 加治佐カードを研究開発し、飲みに行っては鯨博士とも呼ばれ、夜遊びの達人? トレードマークの角刈りも今だに健在。 今回はケーキの差し入れを持って来てくれた。 前回はアイスクリームだったな。 きれいですね。 この人、さっそくお目当てのケーキに名前を・・・ さすが、チョコ好き。 ミルフィーユ こいつも美味そう。 てんこ盛り。 しかも新発売。 最近のコンビにて、美味いのよ。 特にデザート系は力が入ってるよね。   加治佐君は、いつも遊びに来る時は手ぶらでは来ない人。 必ず何かを持って来て、差し入れしてくれるだ。 だから、今度遊びに来る時も必ず美味しい差し入れがあるだろう。 (^^             baibaikin
2012.06.24
毎度、中山さんです。 先週仕事帰りに、 ちょいと打ちっぱなしに行った。 3階席が安いので、ここで練習。 1階には有名人がいるかもよ・・・? 3階だと距離感が、いまいち解らないのだが・・・ 貧乏なもんで! これが俺様のバック&クラブ! かっこいいでしょう。 先日グリップを取り替えて、感じが良くなった。 見て解る人は、解るが・・・ 解らない人は、わからないかな? ちょいと古いタイプのクラブで、フェイスが小さいのだ。 おやおや~ 花火だ。 ディズニーランド? ここからだと、ちょっとしょぼい花火だが仕方ないな。 さて、続けていくぞ! ネットに突き刺され。  (^^ 1階にあるレストラン。 おなかぺこぺこ! しょうが焼き定食、いただきます。           baibaikin
2012.06.23
毎度、中山さんです。 今月大安の日曜日、朝いつもどうりに起床。 シャワーをあびて、軽く朝食をすませ、 そろそろ、蓮てぃんも起こすか・・・ こいつ、俺様か出たベットでいつも寝てるのだ。 しかも枕まで使って。 いつもなら、起こさないが今日は一緒に外出。 向かった先は、自宅近所のネッツ! トヨタさんに車を取りに来た。 今年3月に購入。 思っていたより早く納車となった。 俺の経験で、自分で取りに行ったのは初めてで、 いつも自宅まで納車してもらっていた。 通常みんな納車してくれるはずでは? 値切りすぎたか・・・ お店によって、花束をもらえたり、写真撮影があったり、 代替前の車と、新車を並べて写真を撮ったり、写真をパズルにしたりと、 各お店にて、努力をしているようだが、 何もない。 やっぱ、値切りすぎたか・・・ しかも、納車された車は注文した装備が出来ておらず、 後日引取後、完成させるとか? まぁ、大人の俺様。 笑顔で了承。 とうよ、蓮てぃん。 乗り心地は? わからないか? 海もこれからは、こいつでいけるぜ! 8インチモニター! こいつは、大きくて見やすい。 お金をかける価値あり。 まぁ、この車は奥様の買い物専用車。 休日以外俺様が乗ることは無い。 車庫に入れてみると、 さすがに、ヴォクシーよりでかい。 高さも何とか入った。 これから宜しく。 普段使用しているレジェンド君。 走行距離もかなり行ってるが、 まだまだ現役。             baibaikin
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