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2012.07.03

『 セリカXX 』

毎度、中山さんです。 先日、懐かしい車を発見。 2代目セリカXX 1981年、俺様が高校生の頃にデビューした車で、 リトラクタブルヘッドライトの憧れの車。 こいつをシャコタンにしたら、かっこいいと当時俺は考えていた。 そんなXXを、発見して思わずパチリ。 こいつが北米だと、XXが使えなくスープラの名前が誕生。 俺様も学校を卒業し中古ではあるが、XX2.8GTを当時所有。 5MGにインタークーラーターボを装着。 ターボはポルシェで有名なKKK。 試作で作った、100パイのマフラー。 腕が入っちゃう太さ。 (^^ 今では当たり前にあるが、当時50とか、60パイしかない時代では衝撃的。 色々書ききれないほどお金の掛かった車だった。 とある有名ショップの看板車で、なかり目立っていた。 あちこち行ったが、特に湾岸線にてバリバリ伝説を作ったな・・・ いつも可愛い彼女を乗せて走ってたもんだよ。   当時、トラストの大川氏のソアラが最高速をマーク。 300km/hまで行ったんだっけ・・・ 雨宮さんは色々な車を乗ってたな、 一度、この二人が『すごいね車を見せて』、と来た事があった。 お目当ては、助手席の俺の彼女・・・、では?       てなわけで、XXをみて懐かしくなったのだ。   スープラ(SUPRA)は、トヨタ自動車1978年から2002年まで製造・販売していたスポーツカーである。日本国内向けは2代目までセリカXXという名前でトヨタカローラ店から販売され、3代目から北米仕様と同じ「スープラ」となる。1986年から2002年までの累計生産台数は28万5,280台。搭載エンジンは、初代から通して直列6気筒のみである。

歴史 [編集]

初代 A40型/50型(1978年-1981年) [編集]

北米仕様
詳細は「トヨタ・セリカXX」を参照 セリカXX/北米スープラの初代モデル。 当時のアメリカでは「Xの列記」が映画の成人指定度合いを示すため、北米を含めた全ての輸出車は「Xの列記」を避けスープラと命名し発売された。

2代目 A60型(1981年-1986年) [編集]

北米仕様
詳細は「トヨタ・セリカXX」を参照 セリカXX/北米スープラの2代目モデル。 日本国内仕様も1983年からドアミラーが認可される。

3代目(日本国内においては初代) A70型(1986年-1993年) [編集]

トヨタ・スープラ(日本国内初代) GA70/GA70H/JZA70/MA70型
前期型(北米仕様)
Toyota Supra.jpg
後期型(北米仕様)
89-92 Toyota Supra.jpg
後期型(欧州仕様)
Toyota Supra front 20071102.jpg
販売期間 1986年 – 1993年
乗車定員 5人
ボディタイプ 3ドアファストバック
エンジン 2.0L 直6 1G-EU型 2.0L 直6 1G-FE型 2.0L 直6 1G-GEU型 2.0L 直6 1G-GTEU型 3.0L 直6 7M-GTEU型 2.5L 直6 1JZ-GTE
最高出力 105 ps(1G-EU型) 135 ps(1G-FE型) 140 ps(1G-GEU型:1986年) 150 ps(1G-GEU型:1988年) 185 ps(1G-GTEU型:1986年) 210 ps(1G-GTEU型:1989年) 240 ps(7M-GTEU型) 280 ps(1JZ-GTE型)
変速機 4速AT/5速MT
駆動方式 FR
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン
全長 4,620 mm
全幅 1,745 mm
全高 1,300 mm
ホイールベース 2,595 mm
車両重量 1,500 kg
ブレーキ 4輪ベンチレーテッドディスク
データモデル 2.0GT ツインターボ 5MT(後期型)
先代 トヨタ・セリカXX(日本国内)
-自動車のスペック表-
A70型よりセリカから独立、日本国内でも北米仕様と同じ「SUPRA」という車名を採用。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」であり、トヨタが誇る60年代の名車トヨタ・2000GTをイメージしていた。ソアラと共通のプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用し、当初の主なエンジンは、2.0Lは1G-EU、1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3.0Lターボの7M-GTEUであった。 1986年6月にはエアロトップが発売され、1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速MTが設定され、それまでは輸出仕様のみに採用されていたブリスターフェンダーの3ナンバー仕様ボディーの「3.0GTリミテッド」が追加された。 1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスク及びテールライトのデザインが変更された。1G-GTEU、7M-GTEUはハイオク仕様へ改良されパワーアップした。また3Lグレードは全て輸出仕様車と同様のワイドボディーとなった。 1989年8月に一部変更が行われ、ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、さらにE仕様もワイドボディ化。また3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを省略して価格を抑えた廉価仕様の「3.0GTターボS」が追加された。 モデル末期の1990年8月、最後のマイナーチェンジ。エンジンの変更やサスペンションの設定見直し等が主体となる。これまでの最上級グレード「3.0GT」系のエンジンを新たにX80系マークIIのスポーツグレードに採用された2.5Lツインターボ 1JZ-GTEに換装し、またサスペンションにドイツのビルシュタイン社と共同開発した専用ダンパーを採用[1]。タイヤもインチアップされ、スポーツカーとしての性能を大幅に引き上げた。そのためグレード名は「2.5GTツインターボ」に改称され、3.0Lターボ仕様の7M-GTE搭載車は廃止された。また外観では、フロントノーズのエンブレムが縦長のスープラ独自のものから1989年に発表された初代セルシオより採用されている新トヨタCIマークに変更されている。ちなみにこの「2.5GTツインターボ」は、当時のトヨタ車として初の280psの5速MT設定車であり(AT仕様もあり)、当時の国産市販車の280psクラスのレシプロエンジン車では2.5Lと最小排気量であった。 また、グループAのホモロゲーション取得用モデルとして7M-GTEに専用開発のターボAタービン(CT26型ベース)を搭載した3.0Lターボ車「ターボA」が、1988年8月のマイナーチェンジと同時に500台限定で販売された。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクトで、このダクトの形は「ターボAダクト」と呼ばれた。その他の特徴として、ボディカラー、ホイールも黒、内装は本革シートを採用し5速マニュアルのみの設定でメーター類はアナログのみとなる。インタークーラーも大型の物が装着され、最高出力は量産型の240psから270psにまでパワーアップされた。ちなみにグループAでのスープラは、デビューウィンこそ飾ったものの、その後はフォード・シエラ日産・スカイラインの前に苦戦し、R32スカイラインGT-Rが席巻した1990年をもって撤退した。 通常純正部品をディーラーで購入する場合、車検証が必要になるが、このターボAタービンは実際に車両を持参しないと購入できなかった。これは、ユーザーの間でターボAタービンを他車種(ソアラMZ20/21、スープラMA70量産型)に流用するチューニングがあまりにも広まったためといわれる。 搭載エンジンについて詳細は以下。
形式 項目\年代 1986年2月~ 1987年1月~ 1988年8月~ 1990年8月~
1G-EU 排気量 形式 最高出力 最大トルク 2,000cc(1,988cc) OHC-自然吸気 105ps/5,200rpm 16.0kg-m/4,000rpm ← ← ← ←    
1G-FE 排気量 形式 最高出力 最大トルク     2,000cc(1,988cc) DOHC-自然吸気 135ps/5,600rpm 18.0kg-m/4,400rpm  
1G-GEU 排気量 形式 最高出力 最大トルク 2,000cc(1,988cc) DOHC-自然吸気 140ps/6,400rpm 16.5kg-m/4,600rpm ← ← ← 17.6kg-m/4,000rpm ← ← 150ps/6,400rpm 18.6kg-m/5,600rpm ← ← ← ←
1G-GTEU 排気量 形式 最高出力 最大トルク 2,000cc(1,988cc) DOHC-ツインターボ 185ps/6,200rpm 24.5kg-m/3,200rpm ← ← ← ← ← ← 210ps/6,200rpm 28.0kg-m/3,800rpm ← ← ← ←
7M-GTEU 排気量 形式 最高出力 最大トルク   3,000cc(2,954cc) DOHC-ターボ 230ps/5,600rpm 33.0kg-m/4,000rpm   ← ← ← ←   ← ← 240ps/5,600rpm 35.0kg-m/3,200rpm (※1)  
1JZ-GTE 排気量 形式 最高出力 最大トルク       2,500cc(2,491cc) DOHC-ツインターボ 280ps/6,200rpm 37.0kg-m/4,800rpm
(※1)最高出力270ps/5600rpm/最大トルク36.5kg-m/4400rpmのターボA仕様有り

4代目 A80型(1993年-2002年) [編集]

トヨタ・スープラ(日本国内2代目) JZA80型
フロント
Red Supra.jpg
リア
Toyota Supra (A80) 2.JPG
販売期間 1993年 – 2002年
デザイン 鹿戸治
乗車定員 4人
ボディタイプ 3ドア ファストバック
エンジン 3.0L 直6 2JZ-GE型 3.0L 直6 2JZ-GTE型
最高出力 225 ps(NA) 280 ps(ツインターボ)
最大トルク 29.0 kgm(NA) 44.0 kgm(ツインターボ)
変速機 4速AT/6速MT/5速MT
駆動方式 FR
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン
全長 4,520 mm
全幅 1,810 mm
全高 1,275 mm
ホイールベース 2,550 mm
車両重量 1,510 kg
ブレーキ 4輪ベンチレーテッドディスク
データモデル 3.0RZ 6MT(後期型)
-自動車のスペック表-
THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに、A80系スープラは1993年にデトロイトモーターショーにて公開され、同年5月に販売開始された。 シャシーはスポーツラグジュアリークーペのソアラ(Z30系)に採用された、前後サスペンションがダブルウィッシュボーン方式(フロントアッパーアームがアルミ鍛造のローマウント式)で、A70系より改良が行なわれている。Z30系ソアラとのシャシーの大きな違いは燃料タンクの位置で、ソアラがリアシート背後なのに対し、より全長の短いスープラでは重量配分や前後オーバーハングの長さを適正化すべくトランク下に移設されている。 エンジンは直6 3.0L 2JZ-GEに変更され、新開発の電子制御スロットルシステム「ETCS」が初搭載された(このETCSは後に改良型の1JZ-GTEへ技術転用されている)。 NA仕様(クラウンなどと同一型式のエンジン)で225ps、ターボ仕様はアリスト(JZS147系)に搭載されていたシーケンシャル方式ツインターボで、最高力が280ps、最大トルクは44kg-m(1993年~1996年)を発生した。 また、当時の日本産乗用車としては初となる6速MT(ドイツ・ゲトラグ社とトヨタとの共同製作)を搭載した。なお上級モデルには17インチ扁平タイヤ・ホイールとそれに対応した大型ブレーキキャリパー(前・対向4ポッド 後・対向2ポッド)と大径ローターを装備するものの、発売当初はアメリカ専売モデルのみの採用で、日本国内モデルへは当時の運輸省の認可が下りなかったために翌年まで持ち越された。 1994年8月にマイナーチェンジ。先述の17インチタイヤ・ホイール装着車の追加(発売当初、ホイールの色がターボ車がガンメタリック、NAはシルバーだったが、後に全てシルバーに統一)、グレード体系の一部見直し(RZ-SとSZ-Rの追加)が行われた。RZは6速MTのみの設定と17インチが標準、RZ-SはATと6速MTの設定で17インチはオプション、SZ-Rは6速MTのみで17インチ仕様が標準となった。ちなみにGZとSZは変更なし。 1996年4月に再びマイナーチェンジ。内外装の小変更が行われ、最上級グレードのGZはカタログから消滅。それに伴いターボのエアロトップ仕様もラインナップより消えている。NAエンジンのSZ-RにもRZと同じゲトラグ社製6速MTが改良され搭載された。また全車にABS、デュアルエアバッグが標準装備された。 1997年8月に最後のマイナーチェンジ。同一型式のエンジンを積むアリストが2代目(JZS16#系)へとフルモデルチェンジし、それに伴いA80系スープラもエンジンをVVT-i化された(NAの2JZ-GEは変更なし)。これにより最高出力はそのままながら、最大トルクは46kg-mへ増加、燃費や扱いやすさも向上している。また、サスペンションに「REAS(Relative Absorber System, リアス・相互連携アブソーバーシステム)」を採用。これは左右のダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ左右の減衰力差を発生させるもので、ヤマハ発動機とトヨタが共同開発したものである。このREASは、後に進化版が同じトヨタのハイラックスサーフクラウンアスリートVX(特別限定車)に「X-REAS」として搭載されている。これ以外にもボディ補強などの小変更が行われた。 1999年8月、SZの後輪に245タイヤを採用(フロントは225のままで前後異サイズとなった)。 2002年8月、「平成12年度排出ガス規制」に対応できなかったため(同一型式のエンジンを搭載するアリストはターボ・NAともに対応)、ライバル車種の日産・スカイラインマツダ・RX-7などと共に生産を終了した。 高剛性のボディやエンジンに加え、トヨタ車におけるスポーツフラッグシップ車であったことから、TRD等のメーカー直系だけでなく、他社からも多くのアフターパーツが発売された。ゆえに生産終了した現在でもチューニングベースとして使用されることが多い。 搭載エンジンについて詳細を以下に示す。
形式 項目\年代 1993年5月~ 1997年8月~
2JZ-GE 排気量 形式 最高出力 最大トルク 3,000cc(2,997cc) DOHC-自然吸気 225ps/6,000rpm 29.0kg-m/4,800rpm ← ← ← ←
2JZ-GTE 排気量 形式 最高出力 最大トルク   3,000cc(2,997cc) DOHC-ツーウェイ(シーケンシャル)ツインターボ 280ps/5,600rpm 44.0kg-m/3,600rpm   ← ← ← 46.0kg-m/3,600rpm (※2)
(※2)VVT-i搭載

モータースポーツ活動 [編集]

A70系は1987年より全日本ツーリングカー選手権に参戦。デビュー戦で勝利を飾ったが、その後はレギュレーション変更に伴う重量増加に苦しみ、フォード・シエラの速さや日産・スカイラインの進化に追従できず、1990年限りで撤退した。また、グループA初年度の1987年から1988年にセリカGT-FOURが登場するまでの間、WRCにも参戦したが、こちらは未勝利に終わった。
SUPER GTに参戦したスープラ(2005年)
A80系は1995年・1996年にはスープラ LM-GTル・マン24時間レースに参戦したほか、主な活動としてSUPER GTのGT500クラスに参戦。スカイラインGT-RやNSXと戦いを繰り広げ、2002年の生産終了後も2005年レクサス・SCに交代するまで第一線で活躍した。なお2002年には脇阪寿一飯田章組のエッソウルトラフロースープラがシリーズチャンピオンに輝いている。 ちなみに、SUPER GTに参戦した車両は、参戦当初こそ2JZエンジン搭載であったが、後に2.0L 直4ターボ3S-GTE自然吸気エンジンの3UZ-FE(排気量は参戦年度により異なる)に変更された。またシャシーやサスペンションなども同社のグループCカーをベースにしたものに変更された。 2007年スーパー耐久第3戦・十勝24時間レースに、2005年のSUPER GTで使用された車両をベースにレース用ハイブリッドシステムを搭載したスープラHV-Rで参戦、総合優勝を果たした。しかし、この1戦のみの参戦だった。 D1グランプリには、織戸学のRS・Rスープラが2005年に1年のみ参戦している。2008年のD1ストリートリーガルの第1戦からはセリカのフロント部を移植した車両が、松井有紀夫ドライブで参戦している。2010年に前年度より再参戦していた織戸学が再びスープラで参戦した。ただし以前使用した車両とは別物である。

車名の由来 [編集]

  • ラテン語で「至上かつ最高」「上へ」「超えて」と言った意味を持つ。

脚注 [編集]

  1. ^ ビルシュタイン製ショックアブソーバーが装着されていたグレードは2.5ターボRのみ、その他はTEMS付き、またははスタンダードショックアブソーバが装着されていた。また、2.5ターボRにはレカロ社製シート、MOMO社製ステアリングが装着されていた。
      これも、数年前に撮ったやつ、 こいつ、まだ動いてるかな? P.S これもお金が掛かってるんじゃん。 最近少ないよね。
 
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
 
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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